中小企業診断士が独立するときにうまく行ったこと、失敗したこと【駆け出し中小企業診断士奮闘記】

2023年1月1日

駆け出しの頃の思い出をまとめました

J−net21に掲載されていた駆け出し診断士奮闘記のコーナーがなくなってしまったので、こちらにも掲載したいと思います。かなりの力作だったので(^^;
なお、2011年に書いたものです。

中小企業診断士として資格取得から独立まで、どのような準備をして、どのように失敗や成功を重ねていったのかを、まとめています。ぼちぼち赤裸々に(^^;

第1回 中小企業診断士として独立するキッカケはどうしたら見つかるんだろう?

独立10年前

知也は焦っていた。「今年は売上目標行きそうもないな。」

去年までは既存顧客の大型プロジェクトの営業担当であり、顧客のもとに日参していれば自然と売上はあがった。しかし、大型プロジェクトも終りを迎え、今年は新しくできた建設業担当の営業チームの配属されたのだ。

業界のこともわからない、売れ筋の商品も自社には存在しない。まるで、武器無しで最前線に放り出された感じである。このまま地道に営業していても先は見えないな・・・

マネージャーらと相談し、業界向けの新しい武器をつくろうという結論に達するまでは時間がかからなかった。その後、建設業向けのプロジェクト管理ASPサービスを立ち上げて、販売を開始するまでに約1年の月日が必要であった。そして、この時初めてマーケティングというものに触れることになった。

(※ASP:Application Service Provider。インターネット上で提供されるサービスのことである。)

新しいサービスを立ち上げるプロジェクトの中で、市場調査を行い、サービス仕様・価格や販路を決め、実際に製造をして、そして、プロモーション・販売活動と一連のサイクルを体感できた。この経験は大きかった。営業や開発のことがわかるようになり、会社の業務についてわかった気になっていたが、会社を動かし、新しい企画に取り組んでいくためにはそれだけでは全く足りないことに気づいたのだ。

経験も知識も足りない。せめて、部分的ではなく、もっと体系的な経営知識を身につけておきたい。これが、中小企業診断士を目指すきっかけになった。

中小企業診断士の勉強は楽しかった。しかし、学べば学ぶほど、新サービス立ち上げ失敗を実感・痛感することになる。例えば、新サービスのマーケティング戦略、特に流通戦略については考えが浅かったことを思い知った。新サービスは、それなりに売れた。しかし、それは知也達営業担当が現地に赴いて、商品のデモンストレーションや説明をした場合に限られた。このサービスは月額数千円。営業担当が訪問していてはコストが合わないのだ。自然に、勝手にインターネット上で売れてくれる必要がある。しかし、営業をして、説明がないと売れない。日々の徒労感に苛まれながら、思った。

「もっと前からマーケティングについて学んでいたら、このような状況にはならなかったのかもしれない。」

しかし結局、取り返すことは出来なかった。2年を待たずして、サービスの提供は停止され、大きな赤字を会社に残した。

独立3年前

勉強を始めて6年。5回目の受験でようやく、中小企業診断士の資格を手にした。ようやくここまで来れた。まさか、2次試験でこんなに苦戦するとは思っていなかったが、何度も落ちたことによって、改めて、自分の考え方やアウトプットを見直す、いい機会になったのではないだろうか。

当初は、独立するための勉強ではなく、会社での力不足を補うための自己啓発のつもりであった。しかし、合格できない。そうするうちに、学習の目的が変わってきた。これだけの広範囲な知識や思考を活かすには、大きな会社にいるより、もっと経営に近い場所にいるべきではないのだろうか。まして、知也は6年も勉強している。

「これだけ、人より勉強したのだから、十分に独立診断士としても力を発揮できるだろ!」と楽天的な心も囁いていた。

そして、アタリマエのことを考えるようになった。

独立したことがないから、独立してみるか。

独立1年半前

会社には副業届を出し、平日の夜などに診断士予備校の講師をして、土日には、マスターコースやざまざまな研究会に通う日々。とはいえ、会社の仕事も疎かにするわけにはいかない。

「診断士タイムが足りないなあ・・・」

診断士の資格を取得して以来、独立を心に決めてはいたものの、踏ん切りがつかずにいた。

「キッカケだよなあ。恋愛と同じで、独立もキッカケが重要に違いない!」

そう、思った知也は、先輩診断士達に独立のキッカケを聞いてみた。

「会社の早期退職制度がちょうど実施されていたから!」
「独立した方が儲かるとわかったから!」
「富士山を見に行ってその雄大さに心打たれたから!」

 やはり、皆、それぞれにきっかけがある。

「独立するからには、後で後世に語り継げるドラマチックなきっかけが起きないかなあ。」

優柔不断で妄想癖のある知也は、いろんなパターンを考えてみたが、どれも実現性に乏しい。

そんな中、一本の電話があっさりと独立を決意させる。それは、先輩女性診断士の松岡さんからの電話だった。

「もしもし」「はい、村上です。」
「村上さん、悪魔の電話してもいい?」
「はい?なんのことですか?」
「3ヶ月後に1カ月間の研修講師の仕事があるんだけど、やる?」
「・・・もしかして、平日の昼間ですよね?」
「もちろんよ、平日月~金で1ヶ月!独立してないとできないわねえ。」

悩むまもなく、「や、や、やる方向で検討します!」そう、魔女に答えていた。

 独立を決めた瞬間だった。 ドラマチックでも何でもなく、来るときは来る。

中小企業診断士として独立

 独立を決めてからは、あっという間だった。両親に相談、いや報告し、上司と面談。先輩診断士にも報告。特に誰にも引きとめられない。それはちょっとさみしい。

 でもそれは、自分自身の決意が固まっていることが伝わったからに違いない。

 あっという間に、二か月が過ぎて退職の日を迎えた。こうして、14年間のIT会社での生活は終わりを告げた。もっと感傷的なものかと思っていたが、そうでもなかった。それは・・・

 「研修講師の準備ができていない!」

 すでに、診断士予備校での講義の経験は積み、人前で話すのは大丈夫だろうと考えていたが、長期間にわたる研修企画は、もちろん初めての体験であった。

 1ヶ月の研修の準備をするには、そもそも、どれくらいの期間を割り当てればいいんだろうか? 2時間のセミナーのリハーサルは2時間かかるよな。そうするとこの研修のリハーサルをしたら、リハーサルで1ヶ月もかかるものなのか?

 研修のテーマは、「営業」、「マーケティング」、「企画」である。 自分が経験をしてきた分野だ。自分が実行をするには自信がある。しかし、人に伝えるのはもちろん違うだろう。

 資料を作っては、一人ロールプレイを実行し、ブツブツ自宅で練習する。

 「孤独だなあ。これが独立というものか・・・今日、誰とも喋ってないなあ。いやいや、自分自身とたくさん喋ったよな。」

ひとり言だけは増える。  そして、パワーポイントで300枚近い資料が出来上がる。後は当日を迎えるだけだ

そして中小企業診断士として独立後の初仕事

 再就職支援の研修コースだ。約20名の受講生の方々は、大半が知也より年上で、再就職支援の講座を約半年かけて受講することになっている。受け持つ1ヶ月のコースの前には、財務を学んだり、ITを学んだり、不動産業務を学んだりとさまざまな内容を事前に体験されておられた。

 そして、ついに「営業」のコースが始まる。初日は、自分の営業経験を面白おかしく語るところから。初日のつかみはOKだろう!

 しかし、早くも山場は2日目にやってきた。営業研修なのでロールプレイングは必須。グループ分けをして、それぞれでロールプレイをやってみようという辺りから雲行きが怪しくなる。見る見る受講生の目が死んでいく。

「私、ロールプレイとか苦手なんです!」
「僕は、営業職での就職は考えてないんです!」
「こんなこと習いたいんじゃない!」

 2日目の研修が終わって発生するクレーム。

確かに、研修を取り仕切るファシリテーション能力が高いとは言えず、そのことに対して不満が溢れているのかもしれない。しかし、それよりも顧客のニーズに適合できていないコンテンツの方に問題があるんじゃないか? 果たして、このまま続けてもいいのだろうか?

悩む間もなく決断する。6日間あった営業研修を、3日目で終えることにした。長くて時間のかかるロールプレイイングなどは、全て省き、知識や経験談を伝え、短時間のワークだけに切り替える。3日目はこれが功を奏した。受講生は再び聞く気力を取り戻し、短いワークには積極的に参加してくれるようになった。

 勘所をつかみ直してほっとする一方で、短縮した営業研修3日間の穴埋め、それ以降の研修カリキュラムの組み直しが発生する。昼は講義、夜は翌々日くらいの講義カリキュラム作成をするといった泥縄の作業が続く。

無限に続くんじゃないかと感じられる日々。

手応えと自信は徐々につかみつつも、着実に削られる体力。

気がつくと。1ヶ月たっていた。

没になった分を含めると、作成したパワーポイント資料は500枚にも及んでいた。終わった。生き延びた。とにかく、大きな事故なく終えることができた。内容はともかく、終えられて良かった。

教室を出る時、最年長の受講生の方から、メッセージをもらう。

『先生まだまだ、経験少なそうで、大変そうだなと思ったけど、一生懸命やっているのはわかったよ。就職に役立てられるかはわからないけどな(笑)。でも、ありがとうな。』

うれしさと、反省と、感謝が入り交じる。

「内容はともかく、とか思ってたいらダメだよな。」最後まで聞いてくれる人がいるんだから、少しでも役立つ研修にしないといけない。

改めて受講生の方々への感謝の念が起きるのを感じつつ、1ヶ月に及ぶ初仕事は終わりを迎えた。

「成長したんだろうか?」 

自分に問いかけながら、次の仕事へ向かう。

第2回 失敗は自己責任、成功は助けてくれた人に感謝

中小企業診断士として次のステップへ  ~で、何ができるの?

独立のきっかけとなった1ヵ月間の研修が終わった。

独立前から、診断士予備校の講師の仕事はしていたが、それ以外にも新たな仕事を増やしていく必要がある。会社員時代は長年、営業職も経験したが、今度は自分を商品として売っていかなければいけない。でも、自分を売り込むのはどうも得意じゃない。名刺をもらっても、コテコテとアピール事項が書かれていると、正直押し付けがましく感じてしまうし、どう自分を売り込んでいけばいいのだろう。実績はまだ少ないし、注力分野も不明確だ。新しくつくった名刺には、「中小企業診断士」の肩書きしかなかった。

だが、独立直後ゆえのご祝儀だろうか。ありがたいことに、前職の関係者からIT関連の仕事をいただいたり、先輩診断士の方々からいくつか仕事を紹介していただいたりもした。

たとえば、診断士受験生時代の勉強会の先輩からは、「商工会議所でセミナーをやってみないか?」と声をかけてもらった。

「経営者を中心に60人くらいが集まるから、村上君の得意なテーマでやってみてよ」

—得意…。得意って何だろう?

受験生時代は、「企業経営理論」が得意だった。とすると、戦略論? 組織論? それともマーケティング論? いや、どれも理論は得意だけど、実践が追いついていない。

得意って、やっぱり、経験なのかな…

ならば、13年間の業界経験を活かして、やっぱりITでいくしかない。とは言え、これまでの経験では、顧客企業の従業員が万人規模で、金額も一式5億円とかいうものが多く、そのまま中小企業に伝えても役立つノウハウではないだろう。

では、どうするか。得意なモノと言われると悩んでしまう。そもそも小規模企業に、IT投資という明確な概念があるんだろうか。そうだ。じゃあ、0円で何ができるかをITで考えてみよう。

こうして、初めてのセミナータイトルが決まった。

「中小企業のFREEなIT活用術~ほとんどタダで、業務効率化・新規顧客開拓するには?」

セミナーでは、単にITツールを紹介するだけでなく、販売促進の業務の流れにしたがって、広報ツールやコマーシャルツールなど、無料ITでどこまでできるかに挑戦した。当日は、満席に近い状態。面白く、役立って、お金もかからないことをコンセプトに、無事終えることができた。終了後も、多くの質問やTwitterでの追加の質問をいただき、初めてのセミナーとしては、まずまずの成功だったんじゃないだろうか。

ちなみにセミナーで使った資料は、“FREE”のマインドに則り、ホームページを新しく無料でつくってインターネット上に公開した。

FREE-IT(http://sites.google.com/site/freeitknowhow/

失敗するとは思っていなかった

こうして独立序盤は、話す仕事を中心に仕事を展開していった。なかでも、独立前から続けていた診断士予備校での業務量が増えていった。会社員との兼業時代は、得意の「経営情報システム」の講義だけだったが、独立を機に、二次試験科目の講義もやらせていただけることになった。

最初に依頼を受けたのは、一次試験の勉強を終えてから二次試験に進んでいく、融合スタイルの講義だった。一次試験の講義で心がけているのは、体系的に知識を伝えつつ、そこに事例が加わり、そして面白くあること。

では、二次試験講義では何を心がければよいのだろう。まずは、主任講師のDVDを見て講義の流れをつかむ。やっぱりうまいし、すごい。だが、他人がやっている内容をコピーしても、うまくいかないのは目に見えている。また、DVDの講義と生の講義は、まったく別物と言ってもいい。密室でひたすら話しかけ続けるDVD講義と違い、生の教室講義は双方向性が重要となる。

そんななか、主任講師からもアドバイスを受ける。「村上君なりの色を出していかないといけないよ」と。

二次試験の過去問を使い、その中から一次試験の知識へとつなげていく、そんな展開で講義を組み立てていくことにした。2.5時間×2回の講義だったが、そのための準備時間は、軽く5倍以上はかかっていた。

そして、いよいよ講義当日を迎える。自分の中では、万全の体制で臨んだつもりだった。主任講師も、教室の最後尾で見てくださっている。だが、始まりから不穏な空気を感じる。何人かの受講生が、チラチラと後ろを振り返るのだ。「主任講師がいるのに、どうして講義をしないんだ?」—そんな雰囲気を感じてしまうのは、被害妄想だろうか。

2時間半の講義が終わり、不安は現実のものとなった。何人かの受講生が、主任講師と話すのが聞こえてくる。

「今日は先生、講義はしないんですか?」

「二次の過去問なんてまだ全然やっていないのに、そんな話を聞いてもわからないですよ」

高まる不安感。主任講師と相談し、別途、補講を開催することとなった。つまりは、やり直しだ。

講義のコンセプトは、一次試験からニ次試験にどうつなげていくかだったが、今回の講義ではまず、二次試験の過去問ありきで、二次試験の勉強に未着手の方には、話が通じていなかったのだ。そこで、一次試験の知識を説明し、そこから関連する二次試験の部分を説明し直す補講をやることになった。情けない話だ。補講を開催するスケジュールを発表して、講義を終える。

落胆しながら帰る自分に、受講生が声をかけてくれる。

「私にとっては、十分に役立つ講義でしたよ」

嬉しくもあり、情けなくもあり…。

受講生にとって、講義の1コマは一期一会である。1コマと言えども、決して無駄にはできない。今回の講義は、すでに二次試験の過去問を勉強している人向けのコンテンツとしては、十分なものだったかもしれない。しかし、このクラスの状況には適合できていなかった。どんなクラスなのか、事前に見学に行くなどしておけば、防げた失敗だっただろう。

予備校の講義であれ、一般のセミナーであれ、いろんな状況の方が参加される。すべての人々にぴったり合う講義やセミナーは不可能だが、当日の状況に合わせて、実施内容をカスタマイズできるくらいの余裕があれば、今回も対応できたのかもしれない。準備したコンテンツをこなすだけでなく、リスクマネジメントの視点も持って臨まなければと感じつつ、次の講義に向かう。

コンサルティングもボチボチと

「話す仕事」が中心でスタートしたが、中小企業診断士の本業はやっぱりコンサルティング(ですよね?)。会社員時代は、ITコンサルティングに従事してきたが、中小企業向けではそうもいかない。どうやって仕事を取っていけばいいのだろう。こちらも最初は、先輩診断士からのありがたい紹介だった。

「IT企業の経営革新で、専門家が必要なんだけど…」

「やります!」

そう。最初のうちは、何でも即答だ。おまけに、顧客はなじみのあるIT業界だし、やらない手はない。さっそく、経営革新の制度を勉強し直す。診断士試験の受験勉強にも登場する経営革新だが、それだけではもちろん足りない。しかし、参加する研究会でもタイミングよく、経営革新がテーマの勉強会が開かれるという幸運もあった。

こうして、何社か経営革新取得の支援をさせていただくなかで出会ったのがS社だ。社員数十人のシステム開発受託企業で、中小IT企業の多くがそうであるように、大手システムベンダーからの受託開発が中心だった。初回のヒアリングをしていくうちに、親近感がわいてくる。

「私の前職の会社とも仕事をされているんですか?」

「就業システムをつくるんですか? 私が一番最近につくったシステムは、就業システムですよ」

S社は、自分との共通点が多い企業だった。さっそく企業を訪ね、計画の内容をうかがう。そのとき、すでにS社では、経営革新計画の申請書を作成済みだった。

一般的に中小IT企業には、共通の課題がある。単純な下請け開発では、海外でソフトウェア開発をするオフショアに価格で勝てない。そうすると、(1)技術や業務の独自性を出して差別化を図っていくのか、(2)下請けでなく、中小企業の顧客を開拓して直接取引を開始するのか、(3)自社ブランドの新しいサービスを展開していくのか、といった選択肢が考えられるのだ。これは、中小企業基盤整備機構の経営支援情報センターが出していた「中小受託ソフトウェア企業の今後の展開」にもあるとおりだ。

ちなみにS社では、前記の(3)の方法をとろうとしていた。だが、ヒアリングを開始すると、社長はサービスのコンセプトを熱く語られるのに、どうも具体的な内容や数値につながっていかない。しかしその割に、計画書はしっかり数値まで細かく入っている。

「社長。これって、自分で書かれたんですか?」

「いや、経営革新のコンサルタントにお願いして書いてもらったよ」

なるほど、だから「思い」と「実際」がつながっていないのか…。とは言え、専門家として派遣される数少ない支援回数の中で、自分はどこまでそこをつなげていけるのだろうか。詳細を詰めても、いま一歩、実行可能性が見えてこない。

原因はこれも、中小IT企業によくある課題だった。S社を訪問した際、社員の方に出会うことはなかった。社員は全員が顧客先常駐で、ふだんは本社に出てこないのだ。

「平成14年の事例 I 企業とまったく同じ状況だな」

二次試験の過去問を思い出して、苦笑いする。こんなところで、診断士試験が役に立つとは。

とにかく、社長だけがいろいろ考えても、実行する社員が登場しないことにはどうにもならない。ということで、最終回だけは何とか社員にも打ち合わせに参加してもらい、計画書を仕上げていただいた。

そして3ヵ月後。

「経営革新計画が承認されました」

商工会議所の人から連絡をいただく。嬉しくて、さっそくS社を訪問し、報告する。

「いやぁ。でも、これからですよね。実行しない計画に意味はないですから」

そんな会話をしながら、喜びを共有する。話がひと段落して帰る頃、社長が声をかけてくださった。

「先生。このまま継続して先生に診てもらうには、いくらかかるんですか?」

予想外の申し出に、思わず顔がニヤリとしてしまっていただろう。

「では次回、実施内容の提案と見積もりを持ってきますね」

やっぱり、経験って活きるものだ。重厚長大なIT企業での経験なんて、中小企業支援には活かせないと思っていたけれど、そんなことはない。自分のやっていくべき仕事が、ぼんやり見えてきた気がして、帰り道は心が弾んでいるのがわかった。

第3回 自然体で進んでいけるといいと思います

独立中小企業診断士として1年間生き延びた

 こうして、さまざまなことにチャレンジした独立1年目が終わった。「生き延びた? どうだろう? くたばらずに済んだかな…」というのが、知也の正直な感想だった。会社員時代の年収には、まだまだ及んでいない。

 独立初年度を振り返ると、とにかく忙しかったことは間違いない。友人たちからは、「いろんな所に顔を出してるね」、「ソーシャルメディアの投稿を見ると、24時間働いてるみたい」、「同時並行でいろいろやってるよね」と言われる。

たしかに、ずーっとバタバタしていたし、生活リズムもボロボロだった。1年目の仕事にかけた時間の割合をグラフにしてみると、上記のような感じだろうか(収入の割合ではないことに注意!)。

 では、独立2年目を迎えて、どのような仕事をしていけばいいのだろうか。よく言われる中小企業診断士の3つの仕事である「書く」、「診る」、「話す」。どの順番で力を入れていけばよいのか、先輩診断士の方々にうかがってみると、人によって重きを置く順番が違うのがわかる。

「まずは“書く”ことで知識を深め、本や雑誌に掲載してもらうことで名前もアピールできるので、その後で診断活動に力を入れていくといいんじゃないかなぁ」

「コンサルタントの基本は“診る”だから、まずはたくさんの現場を経験しないと、リアリティのある話なんかできないと思うよ」

知也の1年目の方針は、「バランスよくやっていこう」というものだった。と言うより、「仕事を選ばず、依頼を受けたものは何でもやろう」である。1年間、いろいろな人々から、いろいろな機会を得て、感謝の念にたえない。でもその一方で、自分の方向性に不安も感じていた。

「自分はいったい、何屋さんになっていくんだろう…」

セミナーや研修では、「マーケティング」の話をすることが多い。最初に話すのは、顧客と商品の話だ。

「皆さんのお店では、顧客は明確ですか?」
「皆さんの会社の商品は、強みが明確ですか?」

セミナーが終わるたびに、自嘲してしまう。

「自分だって顧客は明確じゃないし、強みだって明確じゃないよな…」

自分を明確化するには?

今後は、自分自身をもう一度見つめ直して、セルフブランディングをしないといけないのだろうか。自分にキャッチフレーズをつけて、「○○の分野が強い」と明確化したほうがいいのだろうか。

試しに、「iPhone診断士」というキャッチフレーズをつけた名刺もつくってはみたが、ちょっと恥ずかしく、痛々しい感じがするので、お蔵入りとなった。自分自身で無理矢理イメージを固定し、アピールしていくにしても、その内容に納得できていなければうまくいくはずもない。自分のイメージは、行動の結果として形成されていくべきだろう。

そこで、どのような分野の仕事が多いのか、あらためて振り返ってみる。

  • 数多くのセミナーを開催したが、半数はITにも関係するものだった。
  • 公的機関から派遣されたのは、Webマーケティングの支援が中心だった。
  • 知人から電話がかかってきたと思ったら、パソコンやネットワークのトラブルの相談だった。

etc……

13年もの間、IT会社に勤めてきた知也にとって、ITは趣味としては好きなものだ。しかし、中小企業診断士としては、もっと経営に関する仕事をしなければいけないという意識から、積極的なアピールはしてこなかったようだ。むしろ、「中小企業診断士としての自分って何だろう?」と考えすぎていたのではないだろうか。

知也はそう考え、自分のイメージをつくり上げるのではなく、好きな内容でどんどん活動していくことにした。たとえば、4コマ漫画を使い、経営用語の解説を行うブログをつくった。「マンガが描けるんですか?」と驚かれるが、ソフトを使っているだけで、絵としては誰もが描けるものだ。

4コマ漫画でイメージする経営と情報

これは、賛否ありながらも、おおむね好評だと思う。

また、開催するセミナーも、無理に経営に近づけるのではなく、要望に応じて、IT関連のタイトルでやってみた。たとえば、「起業するのにFacebookが必要な理由(わけ)」というセミナー。これまでにやったセミナーの中で、何より演じていて非常に楽しかった。参加者の評価も高かったようだ。

そのほか、ITに関する中小企業診断士の研究会も立ち上げることにした。

研究会名はPIT、Practical ITの略でより実践的なITに取り組みます!)

ブログにしても、セミナーにしても、研究会にしても、自分が好きなことをやって、それが受け入れられるのはとても嬉しいし、なにより安心感がある。

今後はどうしたい? ~自分で動き、自分で仕事をつくるには

こうして独立から1年が経過し、仕事や自分の伝えたいことの方向性が、おぼろげながら見えてきた気がする。しかし、何かが足りない気がしてならない。いくら、知也自身が明確になっても、待ちの姿勢になっていないだろうか。自分で動けているだろうか。

そこで、自分の行動を振り返るために、日々の活動を記録し始めた。いわゆる、ライフログだ。記録して自分の行動を把握すると、自分の活動の非効率性がわかると思ったのだが、逆に、「記録するからもっと効率的に働かないと…」という意識がわいてくるものだ。

知也は、自分の活動を振り返りながら、ふと気づいた。

「セミナーもコンサルも、紹介してもらったものばかりだなぁ」

自分で営業してとった案件がないのだ。もちろん、紹介してもらうのは悪いことではない。仕事をして、実績を残して信頼関係を構築し、その結果で紹介されているはずだ。しかしその一方で、自分で仕事をつくり出せていないのではないか。営業活動もできていないのではないだろうか。

去年1年間で、提案書を書いたかなぁ

会社員時代にITコンサルだった知也は、デスクワークの大半はパワーポイントを使った仕事だった。提案書を書いたり、報告書を書いたり。独立してからも、パワーポイントの仕事に占める割合は高いが、セミナー資料や報告書の作成が中心で、「提案書」がまったく書けていないのだ。

では、どうするか。そう、書けばいいのだ。とは言っても、誰に何を提案すればいいのだろうか。そう考えていたところに、友人から連絡をもらう。自分で考えて動こうとすると、機会は向こうからやってくる。

「うちの会社、新サービスのマーケティングがうまくいってないんだけど、相談させてくれない?」

さっそく訪問して、話を聞く。昨日までだったら、話を聞き、相談に乗って終わりだったかもしれない。でも、そうだ。とりあえず提案してみるか。

「来週、提案書を持って行ってもいいかな?」

特に何か思いついたわけではないが、とりあえず言ってみる。

「え、いいの? そんなことまでしてもらって」
「もっ、もちろん!」

家に帰り、さっそく提案書のネタを考える。そして後日、提案してみた。数度のやりとりの後—

「じゃあ、これでお願いします!」

見事、マーケティング支援の受注に結びついたのだ。いままで、たくさんの機会を逃していたのかもしれない。知也は反省するとともに、一段階ステップを上げられる手応えを感じた。もっと自分から動かないといけないんだ。

「ちょっと、ゴリゴリとした押す力が足りないよね」と、友人からも言われる。それは、知也も認識している。しかし、無理に自分をセルフブランディングして、ガンガン営業するようなスタイルは、自分には向いていない。自然体のまま、自分のイメージが形成され、その中でチャンスをつかみとる意思をしっかり持っていれば、このまま成長していけるんじゃないだろうか。

 まだまだ、課題は山積みだ。経験も知識も、足りないことばかり。悩みも増える一方だ。

でも、自然な自分のまま、謙虚に進んでいければいいと思う。

そんなところで。

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