川崎市の製造品出荷額等の推移

1980年から2023年まで、44年分。工業都市・川崎の主役交代を数字で追います。

このページの要点

① ピークは1986年の8.61兆円。そこから2020年の3.40兆円まで、6割減(−60.5%)しました。重化学工業に依存した都市が、40年かけて縮んでいく過程がそのまま出ています。

② ただし直近3年は回復している。2020年の3.40兆円を底に、2023年は4.32兆円へ+27.0%。コロナ禍からの反動と、原材料価格の上昇による金額の押し上げが効いています。

③ それでも政令市20市で3位。大阪市(4.56兆円)、堺市(4.50兆円)に次ぐ規模です。人口は6位なのに製造では3位。川崎はいまも日本有数の工業都市です。

44年間の推移

製造品出荷額等の推移(1980年〜2023年)

単位は兆円/毎年の値/点線はピーク(1986年)の水準

読み方:大きく3つの局面に分かれます。
1980〜1991年(高原期):6〜8兆円台で推移し、1986年に8.61兆円のピーク。
1992〜2000年(急落期):バブル崩壊後、9年間で4.07兆円まで落ちます。円高と生産拠点の海外移転、そして重化学工業そのものの構造転換が重なった時期です。
2001年〜現在(横ばい期):3.4〜4.6兆円のレンジで上下しています。リーマンショック(2009年)とコロナ禍(2020年)で二度大きく落ち込み、そのつど戻しています。

出典:総務省「社会・人口統計体系(市区町村データ 基礎データ)C 経済基盤」をもとに作成

製造業は、どの区にあるのか

区別の製造品出荷額等(2023年)

7区の合計は市の総額と一致します

読み方:川崎区が3.38兆円・全体の78.3%を占めます。2位の中原区(0.49兆円・11.3%)とは7倍の差。宮前区にいたっては0.02兆円で、川崎区の約150分の1です。
「川崎市は工業都市」という言い方は、正確には「川崎区は工業地帯」です。市の面積の27.6%を占める臨海部に、市の製造業の8割が集中しています。

出典:総務省「社会・人口統計体系(C 経済基盤)」をもとに作成

川崎区が市全体に占める割合の推移

川崎区の製造品出荷額等 ÷ 市全体(%)

読み方:1980年に66.2%だった川崎区のシェアは、いったん1990年に53.9%まで下がったあと、2010年には79.1%まで上昇しています。
これは川崎区が伸びたからではありません。ほかの区の製造業が先に減った結果です。内陸部の工場が住宅地やマンションに置き換わっていく一方、臨海部のコンビナートは残った——シェアの上昇は、そのまま市内の工場立地の変化を映しています。

出典:総務省「社会・人口統計体系(C 経済基盤)」をもとに作成

政令指定都市20市のなかで

製造品出荷額等ランキング(2023年)

単位は兆円/川崎市を濃い色で表示

読み方:川崎市は4.32兆円で3位。人口では6位ですから、規模に比して製造業が大きいことがわかります。
札幌市(0.64兆円)や福岡市(0.70兆円)といった同規模以上の都市と比べると、6〜7倍の開きがあります。川崎と同じ「東京圏のベッドタウン」でありながら、これだけの工業を抱える都市はほかにありません。

出典:総務省「社会・人口統計体系(C 経済基盤)」をもとに作成

解説:半減した数字を、どう読むか

8.61兆円という頂点

川崎市の製造品出荷額等が最も大きかったのは1986年で、8兆6,140億円でした。当時の川崎は、京浜工業地帯の中核として石油精製、石油化学、鉄鋼、電機を抱える、日本を代表する工業都市でした。

それが2020年には3兆3,999億円。ピークからの減少率は60.5%。金額ベースでピーク時の4割弱の水準まで落ちたことになります。この間に何が起きたかは、日本の製造業が経験したことの縮図です。円高、生産拠点の海外移転、素材産業の再編、そして製造業そのものの比重低下。

ただし「衰退」で片づけるのは早い

数字だけを見れば衰退ですが、2つの留保が要ります。

ひとつは直近の回復です。2020年の3.40兆円を底に、2021年3.96兆円、2022年4.13兆円、2023年4.32兆円と3年連続で増えています。3年間で+27.0%。これによりピークとの差も縮み、2023年時点ではピーク比−49.9%、つまり「半分」まで戻しています。コロナ禍からの反動に加え、原油・素材価格の上昇が出荷額を押し上げた面もありますが、少なくとも減り続けているわけではありません。

もうひとつは他都市との比較です。4.32兆円は政令市20市で3位。1位の大阪市(4.56兆円)、2位の堺市(4.50兆円)とはわずかな差で、4位の横浜市(4.22兆円)を上回っています。人口が6位であることを考えると、規模に対して製造業の比重は依然として高い。「日本有数の工業都市」という看板は、まだ下ろされていません。

製造業は川崎区に集約された

市内の分布を見ると、変化はもっとはっきりします。2023年の製造品出荷額等のうち、川崎区だけで78.3%を占めます。中原区が11.3%、幸区が4.9%と続き、内陸の宮前区・多摩区・麻生区は3区合わせても2.4%しかありません。

興味深いのは、川崎区のシェアが時間とともに上がってきたことです。1980年の66.2%から2010年には79.1%へ。川崎区が成長したのではなく、内陸部の工場が先に消えたためです。中原区・高津区あたりの工場跡地がマンションや商業施設に変わっていった動きは、「人口の推移」のページで見た中原区の人口急増と、そのまま裏表の関係にあります。

つまり川崎市で起きたのは、製造業の消滅ではなく、臨海部への集約と内陸部の住宅地化でした。市全体の数字は半減しましたが、市の産業の姿はもっと構造的に変わっています。

中小企業にとっての意味

1. 臨海部のサプライチェーンは生きている——3.38兆円の製造業が川崎区にあるということは、そこに部品、設備、保守、物流、人材派遣といった膨大な取引が張りついているということです。BtoBの商売をするなら、川崎区は依然として日本有数の市場です。

2. ただし取引先の数は減っている——出荷額が半減する過程で、事業所の数はそれ以上に減っています。少数の大規模事業所への集中が進んでおり、1社あたりの取引規模は大きく、しかし取引先を失ったときの打撃も大きい構造です。特定の元請に依存している事業者は、この点を意識しておくべきです。

3. 内陸部で「工場向け」の商売は成り立ちにくい——宮前区や麻生区で製造業を対象にした事業を考えるなら、数字上の根拠は乏しい。これらの区は住宅地であり、対個人・対サービス業の市場として見るのが妥当です。

4. 価格転嫁の局面にある——直近3年の増加には素材価格の上昇が含まれます。出荷額が増えていても、数量が増えているとは限りません。取引先の製造業が「金額は増えたが利益は増えていない」状態にある可能性は、見積もりや価格交渉の場面で意識しておく価値があります。

このデータの限界

製造品出荷額等は金額の指標なので、物価の影響を受けます。1986年の8.61兆円と2023年の4.32兆円を単純に比べると、実質的な生産量の変化はもっと小さい可能性があります。また、従業者4人以上の事業所が対象で、小規模な工場は含まれていません。

製造業の事業所数や従業者数の推移については「事業所数・従業者数の推移」のページで扱います。金額と雇用は、必ずしも同じ動きをしません。