令和元年度 第2次試験問題 事例Ⅰ
与件文
1A社は、資本金8,000万円、売上高約11億円の農業用機械や産業機械装置を製造する中小メーカーである。縁戚関係にある8名の役員を擁する同社の本社は、A社長の祖父が創業した当初から地方の農村部にある。二代目の長男が現代表取締役のA社長で、副社長には数歳年下の弟が、そして専務にはほぼ同年代のいとこが就いており、この3人で経営を担っている。
2全国に7つの営業所を構えるA社は、若い経営トップとともに総勢約80名の社員が事業の拡大に取り組んでいる。そのほとんどは正規社員である。2000年代後半に父から事業を譲り受けたA社長は、1990年代半ば、大学卒業後の海外留学中に父が病気となったために急きょ呼び戻されると、そのままA社に就職することになった。
3A社長入社当時の主力事業は、防除機、草刈り機などの農業用機械の一つである葉たばこ乾燥機の製造販売であった。かつて、たばこ産業は厳しい規制に守られた参入障壁の高い業界であった。その上、関連する産業振興団体から多額の補助金が葉たばこ生産業者に支給されていたこともあって、彼らを主要顧客としていたA社の売上は右肩上がりで、最盛期には現在の数倍を超える売上を上げるまでになった。しかし、1980年代半ばに公企業の民営化が進んだ頃から向かい風が吹き始め、健康志向が強まり喫煙者に対して厳しい目が向けられるようになって、徐々にたばこ市場の縮小傾向が進んだ。さらに、受動喫煙問題が社会問題化すると、市場の縮小はますます顕著になった。しかも時を同じくして、葉たばこ生産者の後継者不足や高齢化が急速に進み、葉たばこの耕作面積も減少するようになった。こうした中で、A社の主力事業である葉たばこ乾燥機の売上も落ち込んで、A社長が営業の前線で活躍する頃には経営の根幹が揺らぎ始めていたといえる。とはいえ、売上も現在の倍以上あった上、一新入社員に過ぎなかったA社長に際立った切迫感があったわけではなく、存続危機に陥るなどとは考えていなかった。
4しかし、2000年を越えるころになって、小さな火種が瞬く間に大きくなり、2000年代半ばには、大きな問題となった。すでに5年以上のキャリアを積み経営層の一角となってトップ就任を目前にしていたA社長にとって、存続問題は現実のものとなっていた。そこで、自らが先頭に立って自社製品のメンテナンスを事業化することに取り組んだ。しかし、それはビジネスとして成り立たず、売上減少と費用増大という二重苦を生み出すことになってしまった。このままでは収益を上げることはもとより、100名以上の社員を路頭に迷わすことにもなりかねない状況であった。そこで、自社の技術を見直し、農作物や加工食品などの乾燥装置など葉たばこ乾燥機に代わる新製品の開発に着手した。もっとも、その中で成功の部類に入るのは、干椎茸製造用乾燥機ぐらいであったが、この装置の売上が、最盛期の半分以下にまで落ち込んだ葉たばこ乾燥機の売上減少に取って代わる規模になるわけではなかった。その上、新しい事業に取り組むことを、古き良き時代を知っている古参社員たちがそう簡単に受け入れるはずもなかった。そして、二代目社長が会長に勇退し、新体制が発足した。
5危機感の中でスタートした新体制が最初に取り組んだのは、長年にわたって問題視されてきた高コスト体質の見直しであった。減価償却も済み、補修用性能部品の保有期間を過ぎている機械の部品であっても客から依頼されれば個別に対応していたために、膨大な数の部品が在庫となって収益を圧迫していたのである。また、営業所の業務が基本的に手書きの帳簿で処理され、全社的な計数管理が行われないなど、前近代的な経理体制であることが明らかとなった。そこで、A社のこれまでの事業や技術力を客観的に見直し、時代にあった企業として再生していくことを目的に、経営コンサルタントに助言を求めながら、経営改革を本格化させたのである。
6当然のように、業績悪化の真っただ中にあっても見直されることなく、100名以上にまで膨らんでしまっていた従業員の削減にも手を付けることになった。定年を目前にした高齢者を対象とした人員削減ではあったが、地元で長年にわたって苦楽を共にしてきた従業員に退職勧告することは、若手経営者にとっても、A社にとっても、初めての経験であり辛い試練であった。その後の波及効果を考えると、苦渋の決断ではあったが、これを乗り越えたことで従業員の年齢が10歳程度も引き下がり、コストカットした部分を成果に応じて支払う賞与に回すことが可能になった。
7こうして社内整備を図る一方で、自社のコアテクノロジーを「農作物の乾燥技術」と明確に位置づけ、それを社員に共有させることによって、葉たばこ乾燥機製造に代わる新規事業開発の体制強化を打ち出した。その結果、3年の時を経て、葉たばこ以外のさまざまな農作物を乾燥させる機器の製造と、それを的確に機能させるソフトウエアの開発に成功した。さらに、動力源である灯油の燃費効率を大幅に改善することにも成功し、新規事業の基盤が徐々に固まってきた。
8しかしながら、新規事業の拡大は機器の開発・製造だけで成就するわけではなく、新規事業を必要とする市場の開拓はもちろん、販売チャネルの構築も不可欠である。当初、経営コンサルタントの知恵を借りながらA社が独自で切り開くことのできた市場は、従来からターゲットとしてきたいわば既存市場だけであり、キノコや果物などの農作物の乾燥以外に、何を何のために乾燥させるのか、ターゲット市場を絞ることはできなかった。
9藁をもつかむ思いでA社が選択したのは、潜在市場の見えない顧客に用途を問うことであった。自社の乾燥技術や製品を市場に知らせるために自社ホームページ(HP)を立ち上げた。そして、そこにアクセスしてくれた潜在顧客に乾燥したいと思っている「モノ」を送ってもらって、それを乾燥させて返送する「試験乾燥」というサービスを開始した。背水の陣で立ち上げたHPへの反応は、1990年代後半のインターネット黎明期では考えられなかったほど多く、依頼件数は初年度だけで100件以上にも上った。生産農家だけでなく、それを取りまとめる団体のほか、乾物を販売している食品会社や、漢方薬メーカー、乾物が特産物である地域など、それまでA社ではアプローチすることのできなかったさまざまな市場との結びつきもできたのである。もちろん、営業部隊のプレゼンテーションが功を奏したことは否めない事実である。
10こうして再生に向けて経営改革に取り組むA社の組織は、本社内に拠点を置く製造部、開発部、総務部と全国7地域を束ねる営業部が機能別に組織されており、営業を主に統括するのが副社長、開発と製造を主に統括するのが専務、そして大所高所からすべての部門にA社長が目配りをする体制となっている。
11しかしながら、これまでリストラなどの経営改革に取り組んできたものの、A社の組織は、創業当時の機能別組織のままである。そこで、A社長が経営コンサルタントに助言を求めたところ、現段階での組織再編には賛成できない旨を伝えられた。それを受け、A社長は熟考の末、今回、組織再編を見送ることとした。
設問
A社長がトップに就任する以前のA社は、苦境を打破するために、自社製品のメンテナンスの事業化に取り組んできた。それが結果的にビジネスとして成功しなかった最大の理由は何か。100字以内で答えよ。
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主力の葉たばこ乾燥機市場自体がたばこ市場縮小と耕作面積減で構造的に衰退し、対象機械や顧客が先細る中で、既存製品の延命策にとどまるメンテナンス事業では十分な需要や収益を確保できなかったため。
設問の制約:「最大の理由」を1点に絞って答える。事業内容の良し悪しではなく、市場・需要構造に踏み込むのがポイント。
根拠の抽出:第3段落=たばこ市場の縮小(健康志向・受動喫煙問題)、葉たばこ生産者の後継者不足・高齢化、耕作面積の減少。第4段落=メンテナンス事業化は「ビジネスとして成り立たず、売上減少と費用増大という二重苦」。
論理:メンテナンスは既存の葉たばこ乾燥機に依存した延命策。その母体市場が構造的に縮小しているため、対象となる機械・顧客が減り続け、需要も収益も確保できない。=「衰退市場の既存製品にしがみついた」ことが失敗の本質。需要縮小と費用増大の両面を簡潔にまとめる。
A社長を中心とした新経営陣が改革に取り組むことになった高コスト体質の要因は、古い営業体質にあった。その背景にあるA社の企業風土とは、どのようなものであるか。100字以内で答えよ。
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補助金に守られ売上が右肩上がりだった時代の成功体験から、採算を顧みず客の個別要望に際限なく応じ、全社的な計数管理を行わず手書き帳簿に依存する、コスト意識の乏しい前近代的で内向きな企業風土。
問われ方:高コスト体質を生んだ「企業風土」を答える。具体的な事象の列挙で終わらせず、その底にある価値観・体質として表現する。
根拠の抽出(第3・5段落):
- かつて参入障壁が高く補助金に守られ、売上が右肩上がり=危機感の薄い成功体験(第3段落)。
- 保有期間を過ぎた部品でも客の依頼に個別対応し膨大な在庫を抱える=採算度外視(第5段落)。
- 手書き帳簿で全社的な計数管理がない前近代的経理(第5段落)。
まとめ方:これらを「恵まれた時代の成功体験に安住し、コスト・採算意識が乏しく、顧客要望に無条件に応じる内向きな風土」と束ねる。事例Ⅰらしく「企業文化・体質」のレベルに抽象化するのがコツ。
A社は、新規事業のアイデアを収集する目的でHPを立ち上げ、試験乾燥のサービスを展開することによって市場開拓に成功した。自社製品やサービスの宣伝効果などHPに期待する目的・機能とは異なる点に焦点を当てたと考えられる。その成功の背景にどのような要因があったか。100字以内で答えよ。
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HPを宣伝ではなく潜在顧客に用途を問う場と位置づけ、試験乾燥で双方向に対話した点。乾燥技術というコアと営業の提案力を活かし、見えない顧客のニーズを引き出して新市場を発掘できたことが要因である。
設問の核心:「宣伝効果などHPに期待する目的・機能とは異なる点」がヒント。=一方的な情報発信(宣伝)ではなく、顧客から情報・ニーズを引き出す双方向の仕組みに焦点を当てた、という対比を押さえる。
根拠の抽出(第8・9段落):
- 既存市場しか開拓できずターゲットを絞れなかった(第8段落)課題。
- そこで「潜在市場の見えない顧客に用途を問う」=試験乾燥サービスで顧客に「モノ」を送らせ乾燥して返す双方向の仕掛け(第9段落)。
- 背景にコアテクノロジー(農作物の乾燥技術)と営業部隊のプレゼン力。
まとめ:「HPを顧客ニーズ探索の双方向ツールとして使った+自社の乾燥技術・提案力という強みが噛み合った」を要因として書く。多様な新市場(食品会社・漢方薬メーカー等)と結びついた成果まで触れると厚みが出る。
新経営陣が事業領域を明確にした結果、古い営業体質を引きずっていたA社の営業社員が、新規事業の拡大に積極的に取り組むようになった。その要因として、どのようなことが考えられるか。100字以内で答えよ。
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コアを乾燥技術と明確化し全社で共有して目標が一致した点、高齢者の人員削減で組織が若返った点、成果に応じた賞与で動機づけた点、試験乾燥で新市場開拓の手応えを得た点が、社員の積極性を高めた要因。
事例Ⅰの定石:「なぜ人が動くようになったか」は、①方向性の共有(理念・事業領域)②組織の活性化③動機づけ(評価・報酬)④成功体験の観点で根拠を集める。
根拠の抽出:
- 方向性…コアテクノロジーを「農作物の乾燥技術」と明確化し社員に共有=事業領域の明確化で目標が一致(第7段落)。
- 組織活性化…高齢者中心の人員削減で従業員年齢が10歳引き下がり組織が若返った(第6段落)。
- 動機づけ…コストカット分を成果に応じた賞与に回した(第6段落)=成果主義的報酬。
- 成功体験…試験乾燥で新市場との結びつきが生まれ、営業のプレゼンが奏功(第9段落)=手応え。
これら複数要因を盛り込み、「方向性の共有+若返り+報酬+成功体験」で多面的に得点する。
A社長は、今回、組織再編を経営コンサルタントの助言を熟考した上で見送ることとした。その最大の理由として、どのようなことが考えられるか。100字以内で答えよ。
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新規事業はまだ基盤が固まる途上で売上規模も小さく、人員も限られる現段階で事業部制等に再編すれば、各部門が分断され経営資源が分散して非効率となり、技術の共有や全社一体の開発体制が損なわれるため。
設問の方向:組織再編を「見送った=今はしない」最大の理由を問う。再編のメリットではなく、現段階で再編する弊害・時期尚早である理由を答える。
根拠の抽出:
- 新規事業は「基盤が徐々に固まってきた」段階で未成熟(第7段落)。
- 総勢約80名・機能別組織で、干椎茸乾燥機等の新事業の売上規模はまだ小さい(第4・10段落)。
- 機能別組織は限られた経営資源を集中でき、技術・開発を全社で共有しやすい(第7・10段落)。
論理:規模が小さく人材も限られる現状で事業部制等に分けると、各部門に資源が分散し、技術共有や一体的な開発が阻害される。新規事業が十分育つまでは機能別組織で資源を集中すべき、という時期尚早論でまとめる。